掲示板の方で「きずな」「きづな」についての私なりの考察を、という要望がありましたので、書いてみましょうどーんとね。
現代日本語の表記としては「絆」と書いて「きずな」と読む(あるいはフリガナをふる)、はずです。
そんでもって、「きづな」というのはおそらく語源的な、歴史的仮名遣い的な、表記だと思います。たぶんだけどね、たぶん、「綱」的な意味合いがあったんじゃないかな、と想像します。絆は結ぶんだし。違うかな。
調べたらわかるんだろうけど、ま、私なりの考察って言われたし。調べるのは各自でお願いします。
「きずな」とひらがなで書くとやわらかさが出て、「きづな」にするとちょっとひねった感がある、ということも言えそうです。ただ、今「絆」を選んだ時点で「ひねった」も何もないのですけれど。
カタカナで「キズナ」と書くと、J-POPの雰囲気が漂います。
勝手なイメージで申し訳ない(しかもすでにあったらもっとごめんなさい)ですが、GReeeeNさん辺りから発表されたらしっくりきます。
少し、今風な空気をまとわせることができます。「今風」という言葉が古いのは置いといてください。
「KIZUNA」と書くと、J-POPのグループ名です。
というか、SHAZNA感があるだけです。もちろん、私の勝手な感想です。
常々発言しておりますが、安易に横文字にするのはどうかと思います。
「きづな」だから「KIDUNA」じゃないの、というか、それ以前です。
自戒をこめて発言しますが、というか、まったくもって私のことですが、言葉をただカタカナやひらがなに変えているだけの時というのは、ほかにうまい記事タイトルが思い浮かばなかったことが多いです。しかし、ちょっとひねった感がでるような気がするので、時々使ってしまいます。ご参考までに。
本来、「絆」というのは、見えないけれど確かに感じられるものであり、うつくしく、すてきな言葉だと思います。
しかし、それが今のように世間に溢れさせられると、なかば強制的に強迫的に押し付けられるような、そんな心持になる方もいらっしゃると思います。
――誰かと信頼し合える。誰かと助け合える。
そういったことが「絆」として感じられる、というのはいいことです。
しかしそれは、結果でしょう。
「絆」を目的にしたり、他の人にも求めたり、……それ(絆)は目指すようなものではないんじゃない?
あくまでも「絆」というのは、それぞれが感じたことです。個人の感想であり、効果を保証するものでないのではないのでしょうか。
あなたとわたしがお友だちになって、絆を感じられる時もあるけれど、それは何も絆を結びたくて友だちになったんじゃないよ。
心から出た「絆」と、使いやすいキャッチコピーとしての「絆」との差異を、敏感な人は感じ取っているのだと思います。
いっぱい「絆」とか「きずな」とか書いていたら、「きずな」には「きず」があって、「絆」という字は「絆創膏」の「絆」でもあることに気づきました。
早く、傷が…痛みが…おさまりますように。
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